INTERVIEW

中村俵太さん
展覧会やショーウィンドウの空間デザイン、アートイベントのキュレーション、雑誌や広告でプロップスタイリングなどを手がける傍ら、「家族」をテーマにした出版物の制作も継続的に行う。場所やメディアを問わず空間をデザインする、HYOTAこと中村俵太とは一体何者なのか。多岐に渡る仕事のルーツを尋ねると、ギャラリー勤務時代、若手アーティストともに展示を作り上げるための試行錯誤を続けているうちに、自身の仕事の領域が徐々に広がっていったのだという。現在は東京を離れ、自然に囲まれた家族との居住空間もデザインし続けている。これまで、パルコでも数々のユニークな空間を作ってきた中村さんに聞いた、仕事のこだわりや家族との時間。
作家と一緒に走り続けたギャラリーの仕事。
20代の頃から、原宿にあったギャラリーROCKETで約6年間働いていました。ディレクターを任せてもらうようになってからはキュレーションの仕事が中心で、作家と一緒になって展示を作り上げる毎日でした。ROCKETは僕が働く以前から、つねに新しくておもしろい作家が出入りしているギャラリーとして知られていて、まだ一度も展示を経験したことのない若い作家など、フレッシュな方々と向き合う機会も多かったんです。彼らに展示のノウハウがないため全てゼロから一緒に手伝わざるを得ないことも多く、だけど表現のこだわりはとても強い。でもやっぱりいいものが見たいからお互いが納得できるまでとことん付き合う……。形になるまでにとても時間がかかって、設営で夜を明かしてしまうことも多々ありました。そんな作家たちの手伝いをしているうちに、僕自身もだんだん何かを組み立てたり、色を塗ったりという作業に慣れてきて、ちょっとした什器であれば作れるようになりました。すべて独学ではありましたが、これが、現在の空間デザイナーの仕事の原点だと思っています。

そのうち、ギャラリーのオーナーの思いつきで、展示だけでなくケータリングの仕事がスタートします。きっかけは、お世話になっているアーティストの展示のレセプション。会場の装飾にふさわしい世界観でケータリングのドリンクやスタッフの服装など、全体のコーディネイトを担当させてもらったところ、それが大好評で、その後もたびたびケータリングの総合演出を担当することになりました。
突飛なアイディアをおもしろがってくれるのがパルコ。
ギャラリーでのディレクター業務も、ケータリングの事業も軌道に乗って、いよいよ忙しくなるぞという頃、僕はなんとも魔が悪い男で、独立を決意するんです。あまりに仕事に夢中になり過ぎて、娘が生まれたばかりなのに全然家に帰れていなかったという負い目もありました。ありがたいことに、独立後もすぐに仕事を依頼していただいて、デザインスタジオ「HYOTA」としての動き出すことができました。


はじめて大きな会場の空間演出を担当したのは、改装前の渋谷PARCOのパルコミュージアムで2016年に開催された奥山由之さんの写真展「BACON ICE CREAM」でした。展示空間の一部を冷蔵庫に見立てて、「お客さんに冷蔵庫の中へ入ってもらう」というアイデアを思いついたのですが、いざ作ろうとするとなかなか大変で、施工チームに苦労をかけてしまった記憶があります。冷蔵庫の扉は解体して持ち込んだり、展示台として段ボールを積層させていったり、空間内にはいくつか手作りの什器を取り入れたりと、ROCKET時代の積み重ねが役立ちました。

パルコでは、その後もお仕事の機会をたくさんいただきました。展示の空間演出だけじゃなく、レセプションでのケータリング企画や、ショーウインドウ、音楽イベントのステージ制作など、関わり方もさまざま。最近思い出深かったのは、2021年にパルコミュージアムで開催された、画家・今井麗さんの展示です。「Melody」と名付けられた展示を体現できるよう、全ての部屋を色で区分けし、リズミカルに順路を巡ってもらうような設計をしました。作品が映り込むようなツヤのある床を実現したくて、エポキシ塗装を流し込み、職人さんに美しく塗ってもらいました。床に取り込まれる光や作品の影によって、空間の広がりや、絵の奥にある作り手の感情の揺らぎを感じてもらいたかったんです。PARCOという商業施設でありながら美術館のような空間として、自由な気持ちで観てもらえるようにできるだけシンプルな構成にしたのもこだわった部分です。


こんなふうに、僕がイメージ先行で思いついた突飛なアイデアは、お客さんの安全や他のテナントさんへの配慮など、商業施設で実施するにはハードルが高いことも多いはずなんです。それでも、パルコの方は無理とは言わずにいつも一緒になってワクワクしてくれて、実現するために並走してくれる。お仕事するたびに懐の深い会社だなあと感動しています。
家族とともに東京を離れ、視界が開けた。
2016年頃から、東京を離れ、家族で相模湖の近くに拠点を移しました。探し回って見つけた家は、目の前が相模川という、最高に眺めがいい一軒家。もともとバブル期に別荘として建てられた家だったので、ベルベットのソファや派手な照明など、時代を感じる造作が随所に散りばめてられていました。そこから壁の色を塗り替えたり、キッチンの床にタイルをしいたり、少しずつ改築しながら4人で暮らしています。今も夏に向けて、川沿いで映画を観られるスペースを作っている最中です。庭にある子どもたちの遊び場は、過去の仕事で余った廃材を使っています。この仕事をしていると、展示やイベントが終わるたび、資材を処分しなければなりません。僕自身、毎回出てしまう廃材を何かに活かせればと思っていたので、使うことができてよかったなあと。作業をするアトリエは、川を挟んで向かいにある廃墟を改装したディープな場所にあります。他にも美術家や陶芸家などがスペースを借りていて、そういう方との繋がりもおもしろいですし、夜いくら音を出しても怒られないので気が楽です。

朝起きて掃除をして、アトリエで作業して、夕方帰ってきて、ご飯を食べて、寝る。一日のルーティーンはこんな感じでしょうか。東京にいた時に比べたら、妻との喧嘩は減ってきたと思います。仕事が忙しくてなかなか家にいられなかった時期は、毎日ぶつかってばかりでした。生活や考え方を改善するために話し合った結果、僕たちが出した答えは「家族で雑誌を作る」というものでした。一年を通じてひとつの家族を取材するというスタイルで、これまで2号出版することができました。現在も3号目を準備中です。毎年、家族4人で人のお家に通いながらのんびり作っています。妻が編集長として執筆をするのですが、取材は子どもたちも一緒になって、家族みんなで行うことをルールとしています。同じ時間を共にして、家族とは何かを考えていく。東京から拠点を移したことも大きいですが、『家族』の制作を通じてさまざまな価値観に触れることができ、自分の視野が大きく広がっていったような気がします。

中村俵太が考える「才能」とは。

自分の創造を信じて、実在させたいと願う気持ちを強く持ち、理解してくれる人、助けてくれる人の輪を広げ、共振していく現象。才能とは、こういう現象を起こすことができる力でしょうか。今住んでいる場所は、良い意味でも悪い意味でも流行の情報が全く入ってきません。目の前にあるのは自然。おかげで、他者の評価に左右されることもなく、内から出てくる答えに目を向けられているような気がしています。とはいえ、時代を反映させる仕事でもあるので、受け手の声に耳を澄まし、間違っていれば軌道修正をしたりチューニングしたりする力はつねに備えておきたいと思っています。社会や環境に対しても、創造性を持って知覚を深め、デザインで貢献していきたい。廃材の利用もその一歩です。これからも、つねに特別な力が宿るものを生み出していけるよう、表現と真摯に向き合っていきたいです。

中村俵太
表参道のギャラリーROCKETディレクターを経て、2014年に独立。デザインスタジオ「HYOTA」として、企画、空間、美術、あらゆるデザインを横断し、広告、雑誌のプロップスタイリング、ショップやエキシビションの空間デザイン、イベントのプロデュース等、幅広く行なう。主な活動に渋谷PARCOでの「奥山由之 BACON ICE CREAM」展(2016)や「奥山由之×edenworks」展(2019)、「今井 麗 MELODY」展(2021)の展示ディレクションなどがある。また2015年より、家族と一年誌『家族』プロジェクトをスタート。クリエイティブディレクターとして、それぞれの家族が、それぞれの想いを持ち、決断し、歩んでいく姿を表現している。
http://hyota.jp/
Photo: Mizuki Matsuda