INTERVIEW

大森 靖子
2014

大森 靖子

「SPECIAL IN YOU」第一弾でモデルを務めたのは、今年9月にメジャーデビューを発表したシンガーソングライターの大森靖子。昨年、レーベルに所属しないまま自主的に行ったライブで渋谷クラブクアトロを満員にし、大型アイドルフェスや「シブカル祭。2013」にも出演。
女子のありのままの気持ちを強い言葉に変換し、ときに激しく、ときにやさしく歌い上げるそのパフォーマンスが多くの若者たちの心を揺さぶっている。念願のメジャーデビューを叶えた大森靖子が見つめる未来とは。そして彼女にとっての「SPECIAL」とは。

大森靖子と渋谷(渋谷クラブクアトロ)

大森靖子が何かを掴もうとする気流を、ちゃんと形にできたのが去年のクアトロワンマン。来てくれた満員の人はお客さんではなくて仲間で、ピンクのサイリウムの海で祝福された、だから上にいけた。

昨年の5月、どうにか上にいきたくて、個人イベンターと二人で一生懸命借りて実施したクアトロワンマンLIVE。事務所無所属、スタッフゼロ、月に20本ほどライブをするものの、2、3人しかお客さんが集まらないこともざらだったので、手づくりの企画書を私は何度も書き直して、それをBeat Happening!というイベントをしているイベンターさんがチャリで渋谷まで持って行って届けてくれた。ようやく借りれることになって、さっそくライブ会場で、アイドルでもないのにチェキを撮りながら前売りチケットを手売りした。その時にギターが壊れて(壊して…)、毎日ライブがあったから修理する時間もなくて、音楽だけでやっていきたくてバイトもやめていたから貯金もなくて、クアトロの前売りチケットを売ったお金でマーチンのギターを買った。
お客さんが来てくれるかなっていう心配よりも、前売りチケットの売上どうしよう、という心配で頭がいっぱいだった。集客は心配してなくて、満員になるとは思ってなかったけど、出来ることは全てやったし、関係者への招待券も、東京カラー印刷に入稿して作ってディズニーの切手を貼って手紙を書いてポストにいれた。とはいえ、クアトロのステージ上からほんとに満員になっちゃった客席を見た時はすごくびっくりした。何がって、当時の自分からするとすごく大きい箱なのに、満員のお客さんの顔をだいたい知っていて、あの日のライブに来てくれていた人だ、あの日対バンした人だ、友達の元カノだ、最近ライブ来てくれてなかった人だ、ツイッターで私のこと気になるって書いてくれてた有名人だ、って。お客さんっていうより、なんていうか、仲間が、私が何か掴もうとしているのを感づいて、その記念日を祝福しに来てくれてるみたいな感覚だったんです、今思えば。

photo_Masayo
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ライブの出来だって、ちっちゃいライブでしてたことと変わらなくて、今の自分からすると全然よくないんですよ。それでもやっぱり伝説とかって言ってもらえたり、クアトロ以前と以降で変わったって言ってもらえたりするのって、そういうことだと思うし。しかもアンコールのサプライズで、ピンクのサイリウムの海をつくってくれて。弾き語りで暗~い曲を喘ぐように歌うブスのためにですよ? 私は、意外かもしれないけどあまりライブは感情的にやらないようにしていて、気持ちを入れすぎると、ダメなんですよ、音楽的でいたいから、冷静に音を聴く自分が必要で。で、その時期はさらに、かっこつけてないと外に出られなかったから、あまり気持ちをブログ以外にぶつけることもないし、本当に何も言わなくてもわかってくれる勘のいい人としか仲良くなれてなかったし、喋ると早口なのは今も変わらないですけど本当に何言ってるかわかんないレベルで、すごい暗かったんですよ。だから、サイリウムをみて、人前で嬉し泣きしたのが、まあびっくりして自分でも。『サマーセール』っていう、岩渕監督が私を撮ってくれたドキュメンタリー映画があるんですけど、その岩淵監督に最近三輪二郎のPVを撮ってもらった時に、「クアトロの時さ、アンコールで大森さん泣いた時、泣く前にほんの一瞬だけ間があったんだよ、それで泣いたの、泣けたから上にいけたんだよ」って言われて。なるほどーって思って。
その後何度かクアトロのステージに立つ機会があったけど、あの日と比較しながら回を重ねるうちに、やっぱりもうあんまり広く感じないなって思うんですよ。でもそれって、あの日いた満員の人の、それぞれの人生とちゃんと歌で向き合えた感覚があるから、すごい広いって感じたんですよ、あの日のクアトロが。

大森靖子と渋谷(シブカル祭。)

予言のように言葉が羅列される歌詞を渋谷のど真ん中で歌うと、魔法よりもっとすごいことが起こった。

クアトロでのライブから数ヶ月後、渋谷のど真ん中にあるパルコの入口にて、弾き語りライブをやった。一曲目は「新宿」。「きゃりーぱみゅぱみゅ、みんなのうたは誰のうた、あの街をあるく才能がなかったから、あたし新宿が好き、汚れてもいいの」そう歌うと、ステージの横をきゃりーちゃんの街宣カーが通り過ぎていった。そして「あたし天使の堪忍袋」という曲で「人違いでリンチされた少年を、一目みて恋に落ちた少女、ただこの街の名もない歌はゴミ、黒いカラスついばむ白い袋」と歌うと、今度はカラスの大群がカーカー鳴き出した。この日、初期のライブに毎回ゴスロリ服で来てくれていた美少女が久しぶりに来てくれていて、「大森さんは頑張ってるのに私は何やってるんだろう」みたいなことを言っていて、でも私はすごいその子に憧れてるし大好きで、だからずっと歌っている「展覧会の絵」っていう曲の「君のはしっこに勝てない気がした」っていう歌詞のところで目が合った時、また珍しく涙がでた。ラスト曲「さようなら」をほんと見向きもしない通行人に歌って、本当にわかってもらえない状況ってなんかもうこれこそ日常だし、潔ぎよかった。渋谷にいる感覚っていうのが新しく刻まれて、逆に好きになりましたね、そうやって圧倒的に叩きつけられるのが気持ちよくて。私が中学生のころって、東京の渋谷っちゅーおそろしいところの、109の入口で福袋の交換会とかをギャルがやってて、怖くて、憧れてて、かっこよくて、そういうイメージなんですよ、それをずっと引きずっていて、上京してからもほとんど渋谷って行かなかった。やっと来れるようになったんですよ、渋谷でもライブはじめたあたりから。やっと東京に喧嘩うれるようになれたんですかね。

大森靖子とライブ

photo_Masayo
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一対一の感覚を忘れない。

ライブで緊張を全くしなくて。どんなに大きいイベントでも、本番数秒前までiPhoneいじって、仲良くなったアイドルとLINEとか、Twitterでエゴサとか、新曲の歌詞考えたりとか、愛してるか聞いたりとかしてて。よゆーだねとか、肝が座ってるとか言われて、でも違くて。対バンの人がお客さん、みたいな状況のライブを3年以上高円寺の無力無善寺というところでやってきて、もう、お客さん1人しかいないとか、ザラにあって。でも0はなかった。1人はいて、でもお客さん1人って、その1人がわかってくれなかったら、私の30分のステージまるっとまるまる無意味じゃないですか。例えばお客さんが500人いると、まあ1人は、わかってくれる人、いるじゃないですか多分。だから1人しかいない時のほうが断然緊張したんですよ。それを3年やってきたわけだから、もう怖いものがなくて。でもたくさんの人数になっても、その気持ちでいたいです。
例えば500人お客さんがいたら、1人の1か0の絶望的な可能性が×500だぞっていう。だいたい何割の人がわかってくれればいいや、とかじゃなくて、わかろうがわからなかろうが1人ずつとタイマンはって、全員と対話したい。わかってもらえなくても、もうわからないってことを、納得するまでわかりたい。1対500じゃなくて、1対1 ×500っていうライブがしたいんですよ。圧倒的なスピードで。

大森靖子と女子クリエイター

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表現する女子はこれから、もっと自由を手に入れる。

最近、「今女子が面白いですがなぜだと思いますか?」とかよく聞かれるんですけど、私はこれから日本は、どんどん女子の時代とは逆行していくと思っていて。女子はまったく権威的じゃなくなります、だからこそある場所ではすごく自由になれると思うんです。社会的地位を得られない、てことは、そんなもん得なくて済むってことで、別に何を言っても無駄だし、裏を返せば何を言っても許されちゃう。絶望はいつだって希望で。そうやって自由度が増えるから、表現をしたい女子たちは、これから絶対に楽しくなる。このご時世、「世界を変えてやる…」って意気込む子、いないじゃないですか。私だって最初っから終わってて、あーこの人生もう詰んでるって、小6の時に思ったんですね。だからこそ、どうせ一生地獄だから面白くしてやろう、一生遊んでやろうって決めてて、宿題は一回もしなかった。世界を変えようなんて思わなくったって面白い視点を持っている子は、間違いなくたくさん出てきていて、ハチャメチャなことをやってるけど、これを膨らませたらすごいエネルギーになるんだろうなっていう、最初の光みたいなものをあちこちで感じます。しかも、魅力的なのにその力は全く社会には向かっていないっていうところが個人的にすごく気持ちよくて。それが今の面白さだなと思っているので、私は好きですね。

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大森靖子とメジャーデビュー

やっと普通の人になれる。
ふつうの人とは、許される人、肯定される人、愛される人。

私はほんとに、ステージ以外ではかなりダメで、今までずっとダメだったし、ダメすぎてとっとと死ぬべきだと思ってたし、自分みたいな人間を肯定的に捉える漫画も映画も音楽もなかったんですよ。自分が自分でかわいそうで。昨年末、すべての女子を肯定するってコンセプトで『絶対少女』というアルバムを作ったんですけど、肯定したかったのって、結局自分なんですよね、たぶん(笑)。一秒ごとに言うことも気分も変わるし、一秒前とは正反対だったりするし、でも全部嘘じゃないし、だから全部の女子をとりあえず歌う必要があった。それが全て私で、それが全て他人だった。でも、歌っても歌っても渇いてる私は、次は何を歌えばいいって、そりゃメジャーだし、J-popしかないじゃないですか。J-popってすごい意味わかんないジャンルで、ディスコ調だろうがロック調だろうが、売れたらJ-popなんですよ。てことは、売れたらふつうになれるんですよ。
高校の時に、小学校の文集を引き出しの奥からみつけて読んだら、「ふつうの人」って書いてたんです。「うわー、一生一番なれそうにないやつじゃん」って思って。「なんでそんなこと書いたんだろ?」って思い出したんですけど、友達がサムシングエルス好きで、シンガーソングライターになりたいって書いてて、私も歌が歌いたかったから、シンガーソングライターになりたいって書いたんです文集に、そしたら「私の夢パクんないでよ」ってキレられて、大泣きしながらクラス全員が夢を書く紙の自分のところを破って、はしっこに「ふつうの人 大森靖子」って書き直したんですよ。
その時から「ふつうって何?」が人生のテーマでずっと普通になりたくて、自分がおかしいっていうのは自分がみんなと違うってことだから、自分と同じ感情を探せば普通になれると思って。でも世の中には、こんなにも多くの作品が存在しているのに、まだ言われていない感情とか、まだ形になっていない頭の中のもやもやとか、そういう「穴」みたいな部分がありすぎて苦しかった。それを全部きれいになくしていきたい。全部の気持ちを世の中にとって当たり前のことにしたいんですよ。それが人が愛されたい理由だと思うんです、みんな肯定されたいし許されたい、生きてていいって思いたい。だから私がすべての感情を歌って、変な気持ちも恥ずかしい気持ちも、全部があっていいことだよって、言いたい。それが夢。

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大森 靖子/ Seiko Oomori

おおもり・せいこ。愛媛県生まれ。シンガーソングライター。弾き語りを基本スタイルに活動する、新少女世代言葉の魔術師。レーベルや事務所に所属しないまま自主での作品リリースを重ね、耳の早い音楽ファンの間で話題を集める。2013年5月東京・渋谷CLUB QUATTROや2014年3月恵比寿LIQUID ROOMをソールドアウトさせ、エイベックスよりメジャーデビューすることを発表した。2014年夏はジャンルの垣根を飛び越え、Tokyo Idol Festival、フジロック、ロックインジャパンに出演。自身がボーカルを務めるロックバンド、THEピンクトカレフでの活動も継続中。今最も勢いのあるアーティストの一人。

大森靖子公式ホームページ

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